モッティの小部屋(モッティブログ)

「独身だっていいじゃないか!」日本社会に叫びたい昭和生まれ(女)のブログです。日々の楽しみ・考察などいろいろ記録していこうと思います。

変な会社に入っちゃった2 ~パワハラとは何かを知った会社~

最初の会社を退職して、すぐに就職活動を始めました。

若かったので、次はすぐに決まりました。カウンター営業のある事務職です。

前職の給料が(勤務時間が長いせいで)高かったので、面接で給与について本当に大丈夫か確認されましたが、その時の私はお休み優先でした。

それに、ごく一般的な年収だったと思います。

今思えば、ちゃんと確認もせずに入社を決めるなんて馬鹿だなぁと思いますが、運良く優良な会社に入社することができたんだなと、今は思います。

 

入って1ヶ月ですぐ上の先輩が「訳あり」で辞めたり、同僚が怪我で長い間休んだり、上司が産休育休を取得されたりと、いろいろありましたが仲の良い同僚や人柄の良い上司が多かったので、頑張れました。

カウンター営業とか、知らない人と話すのも得意ではなかったけど、冷や汗かきながらなんとかやっていました。

ノルマの設定はなかったけど、努力が実ったり、お礼を言われたりするのがやりがいになりました。

残業もあるけれど、前職に比べたらごくわずかで、お休みも前職よりは多かったので、良い職場だったと思います。

9年ちかく在籍したので、主任にもなっていました。

 

そんな会社の変化は、じわじわとやってきたように思います。

本社は関西の方にあったのですが、まず本社の一部の部署から人がだんだん居なくなり、次に関西の支社がひとつなくなりました。

その時は、変だなと思いつつも顔も合わせたことがない人たちだったので、人ごとでした。

次に、東海地方の支社がひとつなくなり、責任者が退職されました。

他のメンバーは私のいた支社に合流または退職となり、大きな人事異動も始まりました。

その責任者の方は色々とお世話になっていた方で、私たちの信頼も厚く素敵な女性だったので、いよいよおかしいぞとなってきたところ、私のいた支社にもついに来てしまいました。

原因は、社長の奥さんと娘でした。

 

それまで私が見てきた8年間、社長の奥さんや娘は一度も見たことがなく先輩社員に「美人で、婿に入った社長が尻にひかれているんだよ」と聞かされたくらいでした。

美人な社長の奥さん(と娘)は私のいた支社に突然やってきて、部長クラスの社員2人を退職させ、3人を降格し、お気に入りの(顔が良くて優秀な)社員を部長に押し上げました。

そのために空いてしまったポストを埋めるために、関西から部長を連れてきて、また私と同世代の主任が役職を一つ飛ばして事務長になりました。

新しい部長のもと、業務のあり方などが次々と変わっていきました。

退職させられた部長2人は、私の採用面接をしてくれた2人でした。

そのうちの1人は、社長の奥さんが毎日やってきて数日後の朝、出勤したら「部長は辞めました」と告げられ、もう会うことはありませんでした。

役職を一つ飛ばして事務長になった同僚(男性)は、次々と変わっていく状況に戸惑っている私たちに「何もできなくてすみません。」と泣きながら謝り、ほどなく退職しました。

大切な家族を亡くしてシングルマザーとして頑張っていた先輩は、子供が預けられず遅番ができないという理由を付けて、降格されてしまいました。

 

当時の私は次々に起こることに衝撃を受け、何もできない自分に勝手に傷ついて、胸が苦しいような思いでいました。

こんなおかしい人たちに気を遣って神経をすり減らしていくのは、自分のために良くない、きっと後悔すると思い、退職することにしました。

ちょうど繁忙期手前だったので、引き止められに引き止められ、すぐには退職できませんでしたが・・・。

私が退職した後も、同僚や上司が退職されたという話を聞きました。

 

ただ、それまでは多少のストレスはあってもやりがいのある仕事と感じられましたし、チームで仕事すること、マネジメントについてや引継ぎ資料の大切さなど、たくさん得たものがあり、それらは社会人としての自信につながりました。

それと、窓口に出るのが誰よりも早くなりました。

最初は、窓口に人がいると後列の上司が一番に気づき、ガタッという椅子の音がして窓口に出ようとすることに気づいて慌てて出ていましたが、次第に窓口の気配に気づけるようになりました。

これまで自分の特技が思いつかなかったけれど、もしかしたら『窓口に一番に出て、常に笑顔で対応できること』が私の特技なのかもしれない、と今は思えます。

考えてもしょうがないことですが、あのとき奥さんがしゃしゃり出てさえ来なければ・・・。

 

その1年は8人くらいの退職があったと思いますが、私のいた支社はなくなりませんでした。

あのとき残ると決意された方も、退職された方も、たくさん頑張って今はもうさっぱり元気にされているでしょう。

 

願わくば、因果応報。

社長の奥さんと娘に、そして何もせず何も言わずただ言いなりになっていた社長に、自分のした行いが還っていることを願います。

そして、社員にもお客様にも良い会社になっていたらいいなと思います。

 

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当時の私がハマっていたのは、KinKiKidsでした。前職の食品会社を退職して、遊びに行く時間と心の余裕ができて、コンサートにも毎年行っていました。

その中でいちばん大好きだったのは、堂本光一さんのミュージカル「SHOCK」です。

『SHOCKのためにお休み取れないなら会社辞める!』くらいの勢いでいたので、2002年から2014年くらいまでは欠かさず行くことができました。

もう20周年になったんですね・・・。優先順位が入れ替わってしまって行かなくなりましたが、今もお金と時間があれば行きたいです。

2012年の「Endless SHOCK」は神田沙也加さんが出演されて、このときからずっと大好きだったので、札幌で亡くなったのは本当に悲しかった・・・。